66歳にして球速131km/h!!

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https://youtu.be/cx9d1uY7ik8
Published on 2016年4月1日 by brushup

自身の座右の銘は「人生先発完投」。
「昭和生まれの明治男」と言われ、野球ファンの間で投げる姿が見たいと熱望される【マサカリ投法】と例えられるピッチングフォームは今だに健在である。

2016年3月30日のロッテVS楽天戦に始球式で”登板”した元ロッテオリオンズ投手、村田兆治氏。”66歳”である。
なんとこの始球式で投じた球速は【131km/h】。現役投手と比較して、「少し遅い」程度である。

現役時代には【暴投王】というあまり良くないネーミングもつけられたがこれには理由がある。
捕手に頼らず自らピッチングを組み立てたいがためにノーサインでキャッチャーにボールを投げ込んでいたそうだ。
村田兆治と言えば、渾身のストレートとフォークボール。これをノーサインで捕れと言われてそれを受ける方としては大変である。
おかげで4年連続で2桁暴投を記録した。
しかし、当時決して強いと言えなかったチームの中で、79年には32試合に先発して自己最多の21完投・230奪三振を残すなど、1970年代から1980年代のパ・リーグを代表する投手となった。

この”完投”が原因かは判らないが、83年に肘を痛め日本人としてトミー・ジョン手術を受けた二人目の選手となった。初めてこの手術を受けたのは同僚であった三井雅晴投手。彼は新人王を受賞し村田兆治投手と共にチームの柱として活躍を見込まれていた。79年に手術は成功したが残念なことに球威が戻らず82年に引退。この頃スポーツ選手の故障後のリハビリ環境などを思うと難しいものがあったに違いない。

しかし、村田兆治は三井雅晴が引退した翌年の83年トミー・ジョン手術を受ける決意をし渡米。相当な覚悟を持った決断であった思う。
「これで村田も終わりか」と言う野球ファンもいたが、その中で村田兆治は持ち前の【不屈な精神力】で2年間のリハビリを精力的にこなし84年に見事にカムバック。
翌85年には開幕から11連勝という素晴らしい復活劇を魅せた。最終的には17勝5敗の成績を挙げた。

最後に球速についてもう一つ逸話がある。
2007年の交流戦の対横浜戦に同じように始球式が村田兆治に依頼された。
村田の投じた始球式での球速は135km/h。
これはこの日先発した【サブマリン】渡辺俊介投手(現新日鐵住金かずさマジック選手兼投手コーチ)の投じた全投球よりも速いものだった。

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