彼のホームランを放つ姿は、「史上最高の美しさ」と言われる。

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Published on 2016年1月8日 by brushup

現地時間6日、全米野球記者協会(BBWAA)は今年の米野球殿堂入りの発表を行なった。
今年はなんと言っても、資格取得1年目で殿堂入りが確実視されていたケン・グリフィー・ジュニア外野手(Ken Griffey Jr)が史上初の満票で殿堂入りするかが、投票前から全米の野球ファンから関心を集めていた。

結果は得票率99.3%(440票中437票獲得)で惜しくも史上初の満票での殿堂入りとはいかなかったが、資格取得1年目で史上最高得票率の支持を得た。
これまでの最高得票率は1992年にトム・シーバー投手が98.8%を記録(彼も現役時代から殿堂入りは確実と言われていた言わずと知れた名投手)していたが、これを24年ぶりに塗り替えた。

私はケン・グリフィー・ジュニア選手の大ファンである。
彼が、”シニア(ケン・グリフィー・ジュニアの父)”と1990年の日米野球で初来日した時、彼はまだ20歳でまもなく21歳の誕生日を迎えようとした頃でした。
この年の日米野球は、選抜チームとして初めてMLB選抜が負け越した年でしたが、チャック・フィンリー→ランディ・ジョンソンという豪華なリレーでノーヒットノーランを果たすなど、豪華な顔ぶれでした。ちなみにバリー・ボンズ外野手(彼のキャリアで30-30を記録した最初のシーズン)もナショナル・リーグMVPで初出場。大変興奮し、バリー・ボンズとケン・グリフィー・ジュニアがこの先のMLBを引っ張る存在になると確信しました。
この時はまだボンズもジュニアもホームランをガンガンかっ飛ばすとう言うタイプではなく、”中距離打者で足も速く尚且つ守備が上手い(二人共この年に初めてゴールドグラブ賞を獲得。ジュニアにいたってはこの年から10年間連続で。ボンズも8度獲得し常連となる。)”外野手という印象でした。

1990年8月31日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で史上初めて親子同時にスタメンに名を連ね、9月14日には親子での2者連続本塁打も達成したというのも手伝い、この年の日米野球の話題のひとつだったのが、”親子でプレー”するケン・グリフィーでした。

練習中に帽子を前後ろ逆にかぶり、よくグラブを頭の上にのせ、デーゲームではアイブラックというのが彼のトレードマークでした。
こんな彼を日本でプレーしていた頃から”憧れ”と公言していたのが、イチロー選手。
彼がオリックスでプレーしていた1999年の開幕前の2月、オリックスの業務提携球団・シアトル・マリナーズの春季キャンプに招待され、2週間参加したことがあった。
この時のイチローが嬉しそうに彼とキャッチボールをしていたことも印象に残る。
全盛期にマリナーズで一緒にプレーすることはかなわなかったが、晩年シアトルに戻った彼とイチローは共にシーズンを送った。
2010年6月2日ケン・グリフィー・ジュニアは引退を発表。その日のゲームはシアトルにとって「絶対に落とせないゲーム」とチームメートの誰もが思っていたに違いない。
このゲームを締めたのは、イチローのさよならタイムリー内野安打だった。

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